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東京高等裁判所 昭和26年(行ナ)17号 判決 1953年12月07日

原告 東宝株式会社 代表者取締役 小林一三

訴訟代理人 吉川大二郎

被告 公正取引委員会 代表者委員長 横田正俊

指定代理人 山本千吉郎 外一名

主文

被告が原告及び訴外株式会社新東宝に対する公正取引委員会昭和二十五年(判)第一一号私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律違反事件につき昭和二十六年六月五日にした審決中原告に関する部分につき、原告及び右株式会社新東宝が共同行為及び不当な取引制限をしたとの点以外において、事案に適合するようこれを変更させるため、事件を被告公正取引委員会に差し戻す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、原告の請求の趣旨及び請求の原因。

原告代理人は「原告に対する公正取引委員会昭和二十五年(判)第一一号事件につき被告が昭和二十六年六月五日にした審決はこれを取り消す、訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、請求の原因として次のように陳述した。

一、被告は原告及び訴外株式会社新東宝(以下新東宝という。)を被審人として公正取引委員会昭和二十五年(判)第一一号私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律違反事件について、昭和二十六年六月五日別紙審決書写のとおり審決をした。

二、原告はこの審決に不服であつて次の諸点について争うものである。

(一)、審決の基礎となつた事実を立証する実質的な証拠がない。

(1)  原告と新東宝とは競争会社ではない。

被告は審決において原告と新東宝とが互いに競争関係にあるものとし、両者は昭和二十五年一月訴外新東宝映画配給株式会社が設立されるまではいわゆる潜在的競争関係にあつたものであり、右設立後は現実の競争関係にあるものと認定し、この前提のもとに審決をしているが、この認定は誤りであつて、実質的証拠にもとずくものではない。以下これを分説する。

(イ) 新東宝はその設立の経緯から見て原告の競争会社ではない。

昭和二十一年秋賃金要求に端を発して東宝全従業員が加入組織する日本映画演劇労働組合(以下日映演という。)が原告会社と紛争状態に入り、同年十月十五日未明ついに終戦後最初の大ストライキに突入し爾来約二カ月間にわたつて争議を継続したが、この間においてストライキの指導中心部門であつた第一、第二及び第三東宝撮影所所属従業員及び演技者中日映演の行動に不満をもつ者が、大河内伝次郎を中心とする「十人の旗の会」を主軸として最初約二百名をもつて脱退して第三組合を結成、映画製作の続行を声明し、同年十二月九日日映演の妨害を排除して東宝第二撮影所へ突入、直ちに原告会社の方針に協力して映画製作に着手するにいたり、その後も日映演を脱退してこの第三組合に加入して原告会社の営業方針に協力するものが続出した。この第三組合を独立させることは原告としても必要なことであり、第三組合員もまたこれを切望していたところでもあつたので、原告はこの第三組合を独立させることとし、その方針としてこれら従業員を原告会社の団体協約の影響を受けるおそれのない別会社に収容することの必要を認め、原告の子会社東宝商事株式会社(資本金百万円)の商号を株式会社新東宝映画製作所と改め、この子会社に第三組合を収容し、時価約一億七千万円の価値ある第二及び第三撮影所映写機その他附属設備をわずか帳簿価額約五百万円でこの子会社に譲渡し、製作費その他必要経費はすべて原告から融資し、原告の企画、指導、監督のもとに映画の製作事業を行わしめた。従つて形式上は別会社であつたが実際上は原告会社の映画製作部門としてその経済的機能を発揮せしめたのであつて、その設立の当初から原告の分身会社として原告に協力することが期待されていたのである。

その後昭和二十三年四月二十日の原告会社役員会において、子会社株式会社新東宝映画製作所の資本金百万円を四千九百万円増資して金五千万円とし、増資新株を原告会社の株主に割当てることを決定したが、原告の株式は一株の金額二十円であるのに右子会社の株式は一株の金額五十円であつて増資新株の割当に不便をともなうことがわかつたので、その直後同年四月二十六日資本金百万円、一株の金額を二十円とする株式会社新東宝を設立し、その株式の全部を原告がもち、これに前記子会社の事業及び従業員を包括的に承継せしめた上、同年七月新東宝の資本金を四千九百万円増資して金五千万円とし、その増資新株の大半は原告会社の株主に割当て、次いで翌年五月さらに金七千万円を増資して現在の資本金一億二千万円の会社としたものであり、この増資新株の大半は新東宝の株主に割当てたのであるが、当時新東宝の株主の大半は原告の株主であつたから、右第二次増資を首尾よくなし得たのもひとえに原告の信用と援助のお蔭である。

また新東宝の役員はすべて原告会社の役職員であつたものを原告が指名推挙したのであつて、新東宝が採用した原告の撮影所所属従業員及び原告から新東宝へ派遣した役職員(原告会社社員籍を離脱した者)に対しては原告において退職金を支払わず、その原告会社の在勤期間を新東宝に承継通算せしめ、新東宝は原告の退職金規定をそのまま採用することとしたものである。

また新東宝はもつぱら原告から委託された映画の製作のみに従事したのであるが、その製作する映画の企画、製作、番組編成、宣伝等の事業経営方針は毎週原告会社の本社で開催される水旺会とよぶ両社首脳部役職員の定例連絡会議で決定されたものであり、これは原告が主導権を有しており、原告側を代表して水旺会に出席していた浜崎二郎、岩垣保章、武田俊一、三橋哲夫らはいずれも新東宝又は新東宝映画配給株式会社の役員又は社員となつているので、原告会社に残留する者のうち、水旺会出席者は原告会社営業部長山崎正雄のみであつた。映画製作費はその一本々々について直接費と間接費に分けて予算を組み、原告の承認を得て原告から前渡を受けていたのである。

原告は新東宝の株主に対しても原告会社の株主に対すると同様原告会社の招待券を発給していた。これは新東宝が原告会社の分身である証左であるばかりでなく、新東宝の作品が全部原告の製作せしめた映画のみであるからに外ならない。

これらの事実からいつても新東宝が原告の競争会社である筈はないのである。

(ロ) 新東宝は原告に対し競争する資格がない。

独立の映画製作会社として発足するには、撮影所設備として最低一億円、この外に運転資金最低一億円合計二億円の資金を必要とする。原告がわずかに五百万円余の帳簿価額を対価として新東宝に譲渡した撮影所及び附属設備は、わが国最優秀のものであるから、新東宝がこれを自費で建設しようとすれば優に一億七千万円以上の資金を必要とする。

原告は新東宝へ映画製作費前渡金として一日金二百万円宛一カ月約金六千万円を前渡ししていたが、もし新東宝が自主独立の会社として映画製作の事業を経営しようとすれば、いわゆる滑り出しの運転資金一億五千万円ないし二億円を必要とする。けだし新会社として映画を製作して映画劇場へ配給し、そのフイルム賃貸料収入を挙げるまでには数カ月の日子を要するからである。しかるに新東宝が資本金百万円のみをもつて現在の如く映画製作の事業を開始し得たのはひとえに東宝の絶大な援助のたまものである。これなくしては新東宝に独立の競争資格はない。

(ハ) 原協定は新東宝のために有利であり、新東宝の要望にもとずくものである。

新東宝は設立の当初から東宝と共存共栄の関係に立ち、その庇護のもとに原告の映画製作事業に協力する方針で、すなわち両者共通の利益のため設立され運営され来つたものであつて、新東宝の役員株主及び従業員もまたひとしくこの設立の根本趣旨を知悉しかつ歓迎していたものであつて、原告と新東宝との間の昭和二十三年八月一日附の協定(以下これを原協定という。)も新東宝のためにも有利であり、新東宝の要望にもとずいたものであつて、決して原告の強制にもとずくものではない。その故に新東宝は設立の当初から昭和二十五年一月新東宝映画配給株式会社設立の時までは、終始変ることなく原告の分身会社又は子会社としてなんら強制されることなくして運営されたものであつて、原告の潜在的競争会社と認められるべき理由は全然存在しなかつたものである。

(ニ) 新東宝は経済学上原告の子会社である。

新東宝は昭和二十八年法律第二五九号により改正される前の私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下独占禁止法といい、特に新旧について明示しない限りたんに独占禁止法というときはこの改正前の法律をいうものとする。)第十条にいう意味においては原告会社の子会社には該当しないけれども、同条は親会社として子会社の株式所有を認め得る範囲を定めるために設けられた規定たるに止まるから、実証的経済学上の意義における子会社は右第十条の定める親会社に対する子会社に限定されるべきものではない。新東宝は経済学上原告会社の子会社である。経済学上すでに親子会社と認められる以上、この両者は競争関係にあるものというべきではないのである。

(2)  原協定は競争を実質的に制限しない。

仮りに原告と新東宝とが本来競争関係にあるものとしても、原告及び新東宝の製作映画が日本全国において製作される映画の総数の約三分の一を占めることは顕著な事実であるとして、これにもとずき原協定が公共の利益に反して映画配給の取引分野における競争を実質的に制限するものであるとする審決の認定は失当である。原告はただ新東宝設立前に原告が自ら製作していた本数の映画を新東宝に製作の委託をしただけのもので、新東宝の設立と原協定の締結により、原告は従来の自社製作の映画本数より以上の映画を獲得したものではない。これ従前原告が映画製作のため使用していたその第二及び第三撮影所を新東宝をして原告に代つて使用せしめて映画製作をなさしめたものであるからである。しかのみならず、国内製作の日本映画の外に多数の外国映画が終戦以来続々輸入されているから、原協定により配給される映画の本数は日本全国内における配給映画総本数の三分の一に達しないこともまた顕著な事実である。従つて原協定をもつて映画配給の取引分野における競争を実質的に制限するものとする審決理由は承服し難い。

(3)  原告は原協定にもとずき新東宝製作の全映画の配給委託を求めたことはない。

被告が原協定をもつて独占禁止法に違反するものとする要点は、新東宝製作映画の配給を挙げて原告へ委託すべきものとする約款にあることは審決の「法の適用」第二項の判示に徴し明白であるところ、原告は原協定のこの約款の効力を主張して新東宝製作映画の引渡を要求した事実はなく、この点に関する審決の認定は実質的証拠を欠く。原告が新東宝に引渡を求めた映画のすべては、原告がその費用を前払によつて新東宝に交付し、かつ原告の企画、指導、監督のもとに新東宝に委託して製作させた映画のみである。従つてその所有権は本来当然原告に帰属すべきものである。現実の問題として、原告の企画、指導、監督に属せず新東宝独自の立場で原告よりの前払費用によらず独力の自費で製作した映画は、新東宝が原協定の失効を主張するにいたつたときまでは、全然存在しなかつた。従つて新東宝製作映画の配給を挙げて原告のみに委託すべきかどうかという問題は、まだ発生する余地がなかつたものである。もし原告の権利行使手段そのものが独占禁止法に違反するものならば、被告が認定したような民事訴訟において、東京地方裁判所が原告の主張を認め原告申立どおりの仮処分決定をする筈はなく、いわんやその後新東宝から申立てた仮処分異議事件につき新東宝の申立を排斥する判決をする筈がないのである。

(二)、審決は法の適用を誤つている。

(1)  原告と新東宝との間に競争関係があることを前提とする法の適用は誤りである。

審決は「法の適用」の第二項において「昭和二十三年八月一日被審人東宝と被審人新東宝との間に成立した原協定の内容は被審人新東宝の製作する映画の配給は挙げてこれを被審人東宝に委託し、被審人東宝は被審人新東宝に対して一定の製作費を支払うとの趣旨であるから、被審人東宝と被審人新東宝とは、右の協定により共同して映画の販路及び顧客を制限するものであつて、独占禁止法第四条第一項第三号に違反することは明白であり」「また被審人東宝及び被審人新東宝の製作する映画の本数は、日本全国において製作される映画の総数の三分の一を占めることは顕著な事実であるから、被審人らの行為は同時に、共同してその事業を遂行することにより公共の利益に反して映画配給の取引分野における競争を実質的に制限するものであつて、同法第三条後段にも違反するものである。」「加之右協定によれば、被審人新東宝は自己の欲する興行館に自由に映画の配給を行い得ないのであるから、被審人東宝は、被審人新東宝とその顧客たる映画興行者との取引を不当に拘束する条件をつけて被審人新東宝に資金を供給するものというべく、従つて右協定の内容は、同法第二条第六項第六号の不公正競争方法に該当し、同法第十九条に違反するものである。」とした。しかしながらこれらの法の適用は原告と新東宝とが競争関係にあることを前提とするものであつて、原協定の失効した昭和二十五年一月までは両社は競争関係に立つものでないこと前記のとおりであるから、かかる誤つた前提に立つ審決は根本において法の適用をも誤つているものである。

(2)  本件につき独占禁止法第三条後段及び第四条を適用したことは失当である。

独占禁止法第三条後段の「不当な取引制限」には、「共同してその事業活動を相互に制限する」場合と、「共同してその事業活動を遂行する」場合との二者を包含することは、同法第二条第四項に徴し明白である。しかして本件において同条第三項後段の違背ありとせられた行為は、新東宝の「販路又は顧客の制限」に外ならないから、後者の場合に該当する余地はない(この点はさらに後述する)。従つて問題は結局、右の行為が前者、すなわち「共同して相互にその事業活動を拘束する」場合に該当するか否かにある。しかるに右にいわゆる事業活動の拘束性は複数の事業者間の相互の拘束性を指称することは、不当な取引制限を定義した右第二条第四項の文言上もきわめて明白であるのみでなく、同法第三条が「私的独占」と並んで「不当な取引制限」をも禁圧の対象とした趣旨からも疑を容れる余地はない。けだし「私的独占」は事業者がその事業能力の優位性を利用して比較的弱少な事業者を圧迫し、その事業活動を排除又は支配することによつて一定の取引分野において不当に自らの独占的利益を取得するおそれがあるので、これを禁止するのであるが、これに反し「不当な取引制限」は、法律上並びに経済上完全に独立した事業者が、自由なる合意にもとずき事業活動を相互に制限し合い、又は遂行することによつて、一定の取引分野における競争を実質的に制限し、もつて不当に共同の独占利益を取得するおそれがあるので、これを禁止する趣旨に外ならぬからである。すなわち前者にあつては被支配者一方のみが取引の制限を受けるに反し(支配者側においては単独の場合や数事業者が結合又は通謀する場合その他種々の場合があり得るが)、後者にあつては必然的に加盟事業者双方が相互に取引の制限を受けるべきことが当然に予定されているのである。本件にあつては本件協定により販路又は顧客の制限を受けているのは新東宝のみであつて、原告はこの点についてはなんらの制限をも受けていないのであるから、相互の拘束性を欠き、少くとも同法第三条後段の違背はあり得ないものと考える。

独占禁止法第四条の共同行為と同法第三条の私的独占及び不当な取引制限との関係については必ずしも疑がないわけではないが、原告としては次の如く解するのが正当であると考える。すなわち第四条の共同行為と第三条の私的独占及び不当な取引制限はそれ自身同一でないことは、第四条の共同行為が公共の利益に反して一定の取引分野における競争を実質的に制限することを要件としない点、並びにそれぞれの違反に対する罰則に軽重の差違がある点(同法第八十九条、第九十条)などに徴して明らかである。しかしながら第四条各号に列挙された各種の行為は、いずれも私的独占又は不当な取引制限に移行するおそれある典型的な事例を示したものであり、これを禁圧することによつて、私的独占又は不当な取引制限の発生を未然に防止せんとする趣旨に外ならない。独占禁止法がその第二章において「私的独占及び不当な取引制限」という独立の章を設けるとともに、第四条の共同行為に関する規定を第三条と並んでこの章中に入れたこともこの意味において理解できるのである。すなわち右第四条各号は不当な取引制限行為のみに止まらず私的独占に該当する行為に移行し得る行為の事例をも示したものである。けだし例えばある強力な複数の事業者が共同して弱者なる事業者を圧迫し技術製品販路又は顧客を一方的に制限することによつてその事業活動を支配することもまた可能と信ぜられるからである。しかるに被告は右第四条各号は不当な取引制限行為のみの典型的事例を列挙したものと解する前提に立ちつつ、第三条後段の不当な取引制限には相互拘束を伴わぬ共同行為もあり得るから本件の如く新東宝のみが販路又は顧客の制限を受ける協定も第四条の共同行為に該当する旨強調するのであるが、かかる議論はすでにその前提において誤りであると評する外はない。のみならず第三条後段の不当な取引制限行為のうち「共同遂行」は既述の如く互いに独立した事業者がその事業活動を単独で行わず共同して遂行する場合(例えば共同の販売会社、販売組合、販売代理店等を設け、これを通じて一手販売又は一手買取を行うような場合)をいい、事業自体の共同遂行をなさず、たんに事業活動の一部の行為を制限ないし拘束するが如き場合を指称するものではないから、本件の如く販路又は顧客の制限のみの協定は、少くとも右の「共同遂行」に該当しないことは自明であるといわねばならぬ。しかして不当な取引制限のうち「事業活動の拘束」が相互拘束性のみを指し、本件の如き一方的拘束性を含まないことは前記の如くであるから、たとえ第四条各号が不当な取引制限行為のみの典型的事例を列挙したものであるとする被告の前提に立つても、本件原協定に第四条の適用を肯定する余地は絶対にないといわなければならない。

(3)  原告が新東宝に対してした訴訟及び告訴は正当な権利保全行為であつて違法ではない。

昭和二十五年一月新東宝映画配給株式会社が設立された以後においては新東宝は原協定の失効を主張し映画の自主配給を主張するにいたつたものであるから、それ以後において新東宝が現実に原告の競争会社となつたといい得るかも知れないが、しかし原協定は少くともその時までは有効に存続していたものであるから、原協定にもとずく貸借関係はその後における原協定の失効によりなんら影響を受けるものではなく、原協定の失効を主張する新東宝はそれまでに原協定によつて原告との間に生じた債権債務を直ちに決済すべき義務を負うものである。被告が審決中「事実及び証拠」の部第五(一)ないし(五)に列挙する民事訴訟及び告訴は、この新東宝の債務不履行を原因とするもののみであるから、原告としては正当な権利保全手段であるとともに、原告の取締役としてはその責任上当然とらねばならぬ法律上の手続であり、かかる法律上の手段をとつたことをもつて独占禁止法に違反するとするのは失当である。

(4)  被告が審決主文において命じた排除措置は違法である。

(イ) 審決は現在の事実について判断していない違法がある。

審決主文第一、二項は将来何々してはならないと判示しているが、審決は現在の事実について独占禁止法に違反するや否やを判断し、現在の事実が違法であるとすればそれについて排除措置を定めるべきものであつて、将来の発生するかどうか不明の事実についてそれを想像して排除措置を定めるべきでないことは言をまたない。将来の一般予防をすることは法律の役割であつて審決の役割ではない。現在の事実について具体的に審決しないものは審決ではない。仮りに将来の事実について判断し排除措置を定めることが正当なりとされる場合があるとすれば、それはその予見された事実の発生すべき危険性が現在の事実に徴して存する場合でなければならない。かかる危険性を明示することなく徒らに将来云々というが如きはまことに不可解である。また審決主文第三項は将来云々という文字はないが、これもやはり現在の事実に関せずむしろ将来の事実に関するが如くである。そうとすれば本項もまた前同様の非難を免れ難い。

(ロ) 審決は具体的事実をなんら判示しない違法がある。

審決主文第三項は原告に対し合併を強要し映画の配給を妨害する等経営に干渉する行為をしてはならないといつているが、もし同項が現在の事実について判示する趣旨なりとせば、いかなる具体的事実によつて合併を強要し又は映画の配給を妨害したというのか、全然不明である。審決の認める事実関係のうちどの部分が合併強要又は映画配給の妨害にあたるか全然不明である。

(ハ) 違反事実を明示せず報告義務を課したのは違法である。

審決主文第四項は今後一年間にわたり原告と新東宝間に締結されるすべての協定又は申合せを被告委員会に届出ることを命じているが、およそ違反事実を明示せず一切の協定又は申合せの届出義務を課することは被告委員会の権限の濫用である。またかかる報告義務は違反事実の有無に拘らずひとしくすべての会社が独占禁止法により被告に対して負担する公法上の義務であつて、特に審決主文において命ずる必要のないものである。

(ニ) 判示すべき事項を判示しないのは違法である。

審決主文第五項は東宝新東宝間に締結された昭和二十五年三月二十日の協定(以下新協定という)が合法であるか否かを審査する権限を留保するといつている。しかし新協定は審判の本案の対象となつているのであつて、本案に対しては審判せざるべからざるものである。それをあえて留保することは全く理解し難い。もともと被告委員会は、東宝新東宝間に昭和二十三年八月一日成立した原協定を独占禁止法違反であるとして審判を開始したのであつたが、その後この原協定に関する争いを解決するために原告と新東宝との間に前記新協定が締結されたところ、被告はこれをも審判の対象として採り上げ、民事訴訟法にいわゆる本案としたことは記録上明白である。本案に対して適法違法を判示せず審査権を将来に留保するとは何事であるか。殊に被告自らが進んで本案として採り上げた事項に対し審査権を留保するが如きは自らの設問に対し解答を留保するものであつて、むじゆんも甚しい。しかして新協定は原協定に関する争いを解決するためのものであつて、正に終始一貫している同一物であるから、その適法違法を判定する場合には次の根本方針が堅持さるべきことは原告の信じて疑わないところである。すなわち(A)原協定が独占禁止法に違反するならば新協定も同様に違反する。(B)原協定が同法に違反しないならは新協定も同様に違反しないと。しかるに被告は審決理由において原協定は明らかに独占禁止法に違反すると断言しながら、新協定については審査権を留保すると称しつつ、むしろ違反せずとの口吻あるが如くである。もしそれ一を違反するとし他を違反せずとせんか、かくの如きはむじゆんもまたきわまれりというべきである。

第二、被告の答弁。

被告は原告の請求を棄却するとの判決を求め答弁として次のように述べた。

(一)  事実に関する原告の主張中、原告と新東宝とが競争関係に立つものでないとの事実は否認する。審決の事実認定はすべて実質的な証拠にもとずくものである。

(1)(イ)  新東宝設立の経過に関する原告の主張事実は認める。但し原告の第二、第三東宝撮影所映写機その他附属設備の時価が一億七千万円であること、原告の企画、指導、監督のもとに新東宝をして映画の製作事業を行わしめ、従つて形式上新東宝は別会社であつたが実際は原告の映画製作部門としてその経済的機能を発揮せしめたものであること、新東宝が自主独立の会社として映画製作の事業を経営しようとすればいわゆる滑り出しの運転資金一億五千万円ないし二億円を必要とすることはいずれも知らない。

(ロ)  原告は原告の援助がなければ新東宝の設立及びその後の事業の経営が不可能であつたと主張するが、原告と新東宝とが競争関係に立つか否かは独占禁止法第二条第二項の定めるところに従つて決定すべきであつて両者が事実上密接な関係にあつたことはその競争関係の有無を認定するにはなんらの影響はない。

(ハ)  原告は原協定は新東宝のためにも有利であり、かつ新東宝の要望にもとずいて締結されたもので原告の強制によるものでないと主張するが、原協定が当事者双方にとつて有利であるとか原告の強制によるものでないとかいうことは原協定が独占禁止法に違反するかどうかを決する上になんら影響はなく、原告と新東宝とが競争関係にあることを否定せしめるものではない。

(ニ)  原告は経済学上親子会社と認め得られるものについては競争関係にあるものというべきでないと主張するが、独占禁止法第十条第三項は例外規定であるからこれを厳格に解釈すべきものであつて、原告と新東宝との間に同条項所定の関係がない以上新東宝が原告の子会社であり従つて両者は競争関係にないとはいい得ないのである。しかのみならず同条第三項は同条第二項及び第十三条並びに第十四条第二項第三項の規定についてのみその適用があることは明文上明らかであつて、これを同法の規定するすべての競争関係に類推することは許されないのである。

(2)  原告主張のような日本映画と輸入外国映画とが競争関係にあるとしても、日本映画は日本映画のみで一つの独立した競争圏を形成していることも明白である。従つて本件においては日本映画配給の取引分野をもつて「一定の取引分野」と見るべきであり、そうだとすれば原告と新東宝とが製作する映画の本数が日本全国において製作配給される映画の総数の約三分の一を占めることが顕著な事実である以上この範囲における映画配給の競争が制限されることが「一定の取引分野における競争の実質的制限」に該当することは明白であつて、この点の認定に誤りはない。

(3)  原告は原協定にもとずき原告において新東宝に対し新東宝製作の全映画の配給委託を求めたことはないと主張するけれども、この点についての被告の見解は審決の法の適用の項二の末段に記載したとおりである。

(二)  被告の法の適用に誤りはない。

(1)  審決は原告の行為をもつて独占禁止法上共同行為、不当な取引制限及び不公正な競争方法に当るものとしたが、この法の適用は正当と信ずる。以下さらにその見解を明らかにする。

(イ) 本件においては販路又は顧客の制限を受けているのは新東宝のみであつて、原告はこの点についてはなんらの制限をも受けてはいない。かかる場合に独占禁止法第三条後段又は第四条の違反が成立するが、問題は第三条後段の不当な取引制限又は第四条の共同行為が成立するためには、複数の事業者が相互にその事業活動を制限し合い又は拘束し合うことを要するか、あるいは一方が他方を制限し又は拘束するをもつて足りるかという点にある。不当な取引制限と共同行為との関係については学説上争いのあるところであるが、右の問題点に関する限りにおいては両者はこれを統一的に理解し、両者に共通する「共同行為」なる概念を設定して論を進めて差支ないと思う。法文は一方については「契約協定その他何らの名義をもつてするかを問わず、他の事業者と共同して相互にその事業活動を拘束し又は遂行する」との表現を用い(第二条第四項)、他方については単に「共同して」なる表現を用いているが(第四条第一項)、第四条各号は不当な取引制限行為の典型的事例を列挙したものと解するのが妥当であるから(もつとも行為の結果が競争に及ぼす影響の程度について両者間に差異があるか否かは別論である)、右の表現の差異に拘らず行為の態様については両者を同一に理解するのが正当であると考える。そこで共同行為は必然的に相互拘束を伴うべきものであるか否か、逆に云えば相互拘束を伴つた共同行為のみがここにいわゆる共同行為に該当すべきものであるかを検討してみよう。「共同して」なる文言のみから直ちに、共同行為は相互拘束を伴うべきであると断ずるのはいささか早計であろう。また前掲第二条第四項中に「相互に」なる字句がある点を把えて、直ちに右の如く断じ得るか否かも疑問である。けだし、「相互に」なる副詞は、文理上「拘束」のみにかかるもので、「遂行」にかかるものとは理解し難いから(相互遂行なる観念は無意味であろう)ここには、「相互拘束」と「共同遂行」なる二個の概念が構成せられることとなり、この両概念が果して同一事態を表現したものか否かが争点となつているからである。以上の点をアメリカの判例において著名な再販売価格維持(resale price maintenance agreement)の問題について考えて見るに、生産者が販売業者に対し販売業者の販売すべき価格を指定した場合、生産者が販売業者と「共同して」対価を決定したものと認めることは文理上不可能であろうか。「共同して」なる文言の解釈如何によつては必ずしも不可能ではないと考える。また実際問題としてもかかる再販売価格の指定によつて多数の販売業者間の競争が実質的に制限せられることをそのままに放置せざるを得ないような解釈をとることは独占禁止法の趣旨にも合致しないものと思われる(かかる指定によつて、販売業者間にも共同行為ありと認定し得る場合は別であるが、右の認定は不可能な場合が多いであろう)。再販売価格維持の問題はいわゆる垂直的結合(取引段階を異にする事業者の縦の結合)に当る事例であるが、垂直的結合であつてしかも純然たる対向的結合関係(利害相対立する当事者間の相互に反対の意味を持つた結合関係)にある場合(例えば売主と買主とが売買契約において対価を決定する場合)には両当事者間に共同行為ありと認めることは事の性質上困難であろう。この場合にもいちおう共同関係はあるとしてただ第四条第二項の規定によつて問題となり得ないとの議論もあり得るが、実際問題としてはかかる場合は競争に対して影響を及ぼすことはほとんどまれであろうと思われるから、第四条又は第三条違反の問題は事実上起り得ないであろう。次にいわゆる水平的結合(取引段階を同じくする事業者の横の結合)についても相互拘束を伴わぬ共同行為を考えることは不可能ではないであろう。例えば取引段階を同じくする多数の競争業者が協定を結んでその中のある者のみの生産数量を制限する場合も考え得る。この場合協定に参加したから自己の生産数量についてはなんらの制限をも受けなかつた事業者は共同行為から除外されると解すべきであろうか。かかる場合にも協定に参加した全事業者間に共同行為ありと認めるのが妥当であると考える。この論を更に推し進めるならば、二名の競争業者の一方が他方の販路又は顧客を制限した場合でも両者間に共同行為が成立するとの結論に到達せざるを得ないであろう。ただこの場合問題となるのは第三条前段の私的独占との関係である。競争業者の一方が他方を「支配」することにより競争を実質的に制限した場合には、私的独占は成立するとしても、不当な取引制限ないしは共同行為の成立する余地はないと考えられる。競争事業者の一方が他方を拘束する場合も、むしろこの範疇に属すべきものではないかとの議論である。しかしながら第二条第三項が「排除し又は支配する」と規定した趣旨から見ても、ここにいう「支配」とは排除に準ずべき強力な支配を指すものと見るべきで、事業者の一方の地位が圧倒的に強く、他の事業者はその事実上の独立をほとんど喪失せるが如き場合にはじめて「支配」ありと解するのが妥当であろう。従つて両当事者がいずれも事実上の独立を維持しながら契約関係によつて一方が他方を拘束するに過ぎぬ如き場合は、むしろ不当な取引制限又は共同行為をもつて律するのが相当であると考える。以上の論議を本件に当てはめて見るに、原告と新東宝とはいずれも映画の製作販売を目的とする事業者で、映画販売の面においては潜在的競争関係にあるものであるから、両者間の本件協定による結合は前述の水平的結合と見るべきであり、また本協定は原告新東宝ともいずれも独立の事業者としてこれを締結したものであつて、本協定によつて新東宝の事実上の独立が失われるものでもないことは本協定の趣旨及び本審決の全趣旨に徴して明白である。然りとすれば原告が一方的に新東宝の販路又は顧客を制限する点が独占禁止法第三条後段及び第四条に違反するとした本審決の法の適用はなんら違法ではない。

(ロ) 本件協定によれば、新東宝の製作にかかる映画はすべてその配給を原告に委託し、これに対し原告は一定の製作費を新東宝に支払うこととなつている。本審決はこの点は東宝が新東宝とその顧客たる映画興行者との取引を不当に拘束する条件をつけて新東宝に資金を提供するものであるとして独占禁止法第二条第六項第六号を適用している。しかしながら同法第二条第六項は「この法律において不公正な競争方法とは左の各号の一に該当する競争手段をいう」と規定している。前記の事実はいかなる点において競争手段と解し得るか。映画興行のすべての番組を満たすためには、当時年間約五十二本の映画を製作する必要があることは、映画製作並びに興行界の常識である。しかして原告は本協定締結当時とうてい右の本数の映画を製作することが不可能であつたことは、参考人武田俊一、被審人新東宝代表者佐生正三郎らの審判手続中における陳述に照らし明白である。しかりとすれば原告が新東宝と本件協定を締結するにいたつた趣旨は、新東宝の製作にかかる映画をも含めて年間五十二本の映画を配給し、もつて自己の競争者たる松竹、大映等に対抗せんとする点にあつたことは容易にこれを推認し得るところである。仮に本協定締結の趣旨は他にあるとしても、本件協定を実行した結果は右の如き効果を持つにいたるべきことは経験法則上容易にこれを肯認し得るところであろう。果してしからば本協定により原告が新東宝を拘束したことは、ひつきよう自己の競争者たる松竹、大映等と対抗し、競争上有利な立場を獲得せんとの意味を有するものであつて、いいかえれば一つの競争手段たる性質を持つものといわざるを得ない。

(2)  原告は審決中事実及び証拠の第五(一)ないし(五)に列挙する民事訴訟及び告訴は原協定にもとずく新東宝の債務不履行を原因とするもののみであるから原告の正当な権利保全手段であるとともに、原告の取締役としてはその責任上当然採らねばならぬ法律上の手続であるから違法ではないと主張するところ、原告の右の各行為が債権保全の趣旨をも含んでいることは審決においても認定しているのであるが、その行為が同時に新東宝の自主配給を妨害し新東宝を自己の支配下におかんとの意図の下に行われたものであることは審決の事実及び証拠の項末尾に認定したとおりであり、このような行為が違法な原協定の実行行為として違法であることは審決中法の適用の項四に記載したとおりである。

(3)  原告は審決の主文について攻撃するがいずれも理由がない。

(イ) 公正取引委員が審決をもつて命じ得る排除措置の内容はたんに現在又は過去の違反行為そのものの排除に止まらずこれに関連して当該違反行為の排除を実効あらしめるための措置及び将来再び違反が反覆せられる危険性があるときはこれを防止するために必要な措置をも当然包含するものと解すべきである。本件においては新東宝がたまたま本件協定の実行に極力反抗したため現在においては本件違法な協定の実現はいちおう阻止せられているのであるが、将来の情勢如何によつては再びかかる違反行為が反覆せられる危険性のあることは、本件事案の全体に徴し容易にこれを看取し得るところであるから、かかる危険性を防止するための本審決主文第一ないし第三項の措置はなんら違法なものではない。なお原告は右のような危険性の有無についての判断を審決中に明示しなかつた点を違法と主張しているようであるが、この点は本審決の全趣旨の中におのずから表現せられているのであつて、原告の右の主張は理由がない。

(ロ) 原告が新東宝に対し合併を強要し又は映画の配給を妨害したとの点については、本審決中「事実及び証拠」の欄第五項及び「法の適用」の欄第四項に明白に記載してある。被告はこの程度の記載をもつて十分具体的であると確信する。

(ハ) 本審決主文第四項は本件違反行為の排除を実効あらしめるための措置であつて、前記の理由により当然審決をもつて命じ得るところであり、権限の濫用ではない。

(ニ) いわゆる原協定と新協定との関係については被告は次の如く認定しているのである。すなわち新協定締結の趣旨は原協定の消滅により原告と新東宝との間に生じた債権債務の関係を如何に処理すべきかを取りきめることがその主たる目的であつて、必ずしも原協定の趣旨を変形して存続せしめんとの趣旨ではないと認定しているのである。従つて本審決においては新協定の内容自体はなんら違法性を有しないものと認定しているのであつて、この点に関する判断を遺脱しているものではない。ただ新協定の内容自体は違法でないとしても、右協定の実行に際しその態様の如何によつては、原協定の実行と同一視すべき場合もこれなきを保し難いので、かかる場合には被告はその点を捉えてこれを審査する権限を有する旨を明らかにしたのが審決主文第五項の趣旨である。なお原協定と新協定とはその適法違法の判断につき同一に取り扱われるべきであるとの原告の主張は理由がない。

第三、証拠関係。

一、引用証拠。

(一)  原告代理人は審判手続における参考人馬渊威雄、同岩恒保章、同武田俊一、同被審人東宝代表者米本卯吉、同被審人新東宝代表者佐生正三郎の各陳述を引用し、

(二)  被告代理人は審判手続における参考人武田俊一及び被審人新東宝代表者佐生正三郎の各陳述を引用した。

二、あたらしい証拠の申出。

原告代理人はあたらしい証拠として、参考人馬渊威雄、同山崎長利、同山崎正雄、同永田雅一の各尋問の申出をなし、その申出の理由として参考人馬渊威雄は審判手続において尋問を尽していない、その余の右各参考人はいずれも原告が審判手続において昭和二十五年三月十七日附で申出た参考人であるが、被告は正当の理由なくこれを採用しなかつたのである、被告が審判手続において原告のため喚問した参考人は馬渊威雄及び米本卯吉の両名に止まる、しかるにこの両名は新東宝設立後に原告会社の役員となつた人であるから新東宝設立前後のくわしい事情は直接知らないものである、山崎長利、山崎正雄は新東宝設立前から原告会社幹部職員として在任し新東宝の設立にも関与しているものであるから、原告主張事実を立証するに最も適切な参考人であり、また参考人永田雅一は映画業界のベテランで業界の事情に精通している人であるから、被告と新東宝との関係及び之が業界に及ぼす影響を公平な客観的見地から批判するに最適の人物であるに拘らず被告の審判手続においては参考人として喚問される機会を与えられなかつたものであると述べた。

理由

一、審決の基磯となつた事実を立証する実質的な証拠かないとの主張についての判断。

(1)  原告と新東宝とは競争会社でないとの主張について。

被告は審決において、原告は映画の製作配給興行等の業務を営むことを目的とする資本金三億六千万円の株式会社であり、新東宝は映画の製作販売等の業務を営むことを目的として昭和二十三年四月二十六日設立された資本金一億二千万円の株式会社で現に右目的たる事業を営んでいるものであり、設立当時から昭和二十五年一月頃までは原告との間の別紙審決書(写)添附の契約書記載のような原協定にもとずき、自己の製作する映画の配給をすべて原告に委託していたので現実には映画配給の業務を行わず、もつぱら映画製作の業務のみを営んでいたものであるが、右期間中も右協定がなかつたならば事業活動の施設又は態様に重要な変更を加えることなくして映画配給の業務を行うこともできる状態にあつたものであることを認定し、原告と新東宝とは昭和二十五年一月新東宝映画配給株式会社が設立されるまでは映画配給の部面においていわゆる潜在的競争関係にあり、同会社設立以後は現実の競争関係にあるものと認め、この事実を審決の基磯としていることは審決自体によつて明らかである。審決のこの点についての法の適用が正当であるかどうかは後に判断することとして、右原告と新東宝とが競争関係にあるとの事実を立証する実質的な証拠の有無について検討するに、原告及び新東宝が審決認定のような目的をもち現にその目的たる事業を行う事業者であることは審判手続において原告の争わないところであり、新東宝がその設立当時から昭和二十五年一月頃迄の間はそのままの機構では映画の配給を行うことはできなかつたとしても、映画配給業務に通曉した者を多少加えれば業務活動の施設又は態様に重要な変更を加えないでも映画配給の業務を行うことができる状態にあつたことは、審決の挙げる証拠でかつ被告が本件訴訟で引用する審判手続における参考人武田俊一及び被審人新東宝代表者佐生正三郎の各陳述により認め得られるところであり、この事実は原告と新東宝とがその通常の事業活動の範囲内でかつ当該事業活動の施設又は態様に重要な変更を加えることなく、同一の需要者に同種の商品を供給することができる状態にあることを示すものというべきであるから、両者が独占禁止法第二条第二項(新法は第四項)にいう競争関係にあることは明らかである。けだし独占禁止法第二条第二項は右法律における競争とは、二以上の事業者がその通常の事業活動の範囲内において、かつ当該事業活動の施設又は態様に重要な変更を加えることなく、同一の需要者に同種又は類似の商品又は役務を供給することか、同一の供給者から同種又は類似の商品又は役務の供給を受けることかのどちらかをし又はすることができる状態をいうと規定しているのであつて、それ以上にはなんらの要件をも要求するものではないとともに、いやしくもこれらの要件の存する限りそのことから当然にこの二以上の事業者は相互に競争関係にあるものとするからである。これに対し原告は種々の事実をあげて両者が競争関係にないことを理由付けようとしているが、(イ)新東宝の設立の経緯が原告主張のとおりであつても、法律上別箇の人格を有し独自の目的をもつ新東宝の存在を否定することはできず、決して新東宝をもつて原告会社の一製作部門たるに過ぎないものとすることはできない。また役職員の構成や事業方針の決定等が原告の主張どおりとしても、これは両者の関係が密接不離なものであつたことを示すにとどまり、新東宝が法律上独立の事業者たることを否定せしめるものではなく、(ロ)新東宝が発足にあたり原告の多大の援助と協力を得た事実があつたとしても、いつたん別個の事業者として誕生した以上、法律上競争関係を生じ得ることを免れないのである。(ハ)また原協定が新東宝の要望にもとずくもので両者の関係は共存共栄にあるとしても、このこともまた両者が独占禁止法上本来競争関係に立つことを妨げるものでないこと前同様である。(ニ)さらに原告は新東宝は経済学上の意味においては原告の子会社であつて両者間に競争関係はないというが、前記改正前の独占禁止法はいわゆる親会社子会社の観念を同法第十条第三項において規定し、かかるもの相互間においては同条第二項、同法第十三条、第十四条第二項及び第三項の適用についてだけ競争関係があるものと解してはならないとしているに過ぎないのみならず、新東宝はこの意味における子会社にも該当しないことは原告の自認するところであるから、仮りに新東宝が経済学上は原告の子会社であり、その故に経済学上は両者間に競争関係があるものとはいえないとしても、このことから独占禁止法上両者間に競争関係なしとすることのできないことはおのずから明らかである。殊に独占禁止法は、前記のとおり競争の意義を自らの法律において規定するたてまえをとつているのであつて、ことさらにこれを経済学上の定義をもつておきかえる理由はないのみでなく、その法律上の定義にそれと異なる経済学上の意義を付与することは許されないのである。すなわちこの点に関する審決の認定は実質的証拠にもとずくものというべく、原告の主張は失当である。

(2)  原協定は競争を実質的に制限しないとの主張について。

被告は審決において、原告と新東宝とが原協定にもとずいて事業活動を行うときは映画配給の取引分野における競争を実質的に制限するものとしていることは明らかであつて、かかる行為が審決のいうように不当な取引制限といい得るかどうかは別として、この事実を立証する実質的な証拠の有無の問題として考えるに、被告がこの競争制限についての認定の基礎にしたところは、原告と新東宝との製作する映画は日本全国において製作される映画の総数の三分の一を占めるという顕著な事実にあることは審決自体から明らかである。まず日本国内において上映される映画の配給部面において多数の外国映画があることは公知の事実であつて、外国映画の配給と日本映画の配給とがそれ自体競争関係に立ち、そこに商品としての演芸演劇等の供給から区別されるべき一の取引分野を構成することは否定し得ないが、その中においてさらに日本映画は日本映画のみで輸入外国映画から区別された一の独立した競争圏をもち、日本映画の配給という一定の取引分野を構成することはみやすいところである。

しかしながら原告が原協定によつて配給する映画が、日本において製作配給される映画の総数の三分の一を占めるとの一事をもつて、この取引分野における競争を実質的に制限するものとするのは相当でない。競争を実質的に制限するとは、競争自体が減少して、特定の事業者又は事業者集団がその意思で、ある程度自由に、価格、品質、数量、その他各般の条件を左右することによつて、市場を支配することができる状態をもたらすことをいうのであつて(当庁昭和二五年(行ナ)第二一号、昭和二六年九月一九日言渡東宝株式会社対公正取引委員会間審決取消請求事件判決参照)、いいかえればかかる状態においては、当該事業者又は事業者集団に対する他の競争者は、それらの者の意思に拘りなく、自らの自由な選択によつて価格、品質、数量等を決定して事業活動を行い、これによつて十分な利潤を収めその存在を維持するということは、もはや望み得ないということになるのである。いかなる状況にいたつてこのような市場支配が成立するものとみるべきかは相対的な問題であり、一律には決し難くその際の経済的諸条件と不可分である。たんに市場におけるその者の供給(又は需要の分量だけからは決定し得ないのである。従つてこれらの諸条件を考慮することなく、原告が日本映画の配給の三分の一を把握するということだけから、原告及び新東宝の競争者である松竹、大映等が、直ちに原告らの意思によつてその自由な事業活動に拘束を受けるということを証明することはできないものといわなければならない。審決のこの点に関する認定は実質的な証拠にもとずくものということはできない。

(3)  原告は原協定により新東宝製作の全映画の配給委託を求めたことはないとの主張について。

被告が審決において認定したところは、原告と新東宝とが昭和二十三年八月一日附で別紙審決書(写)添附の契約書記載のとおりいわゆる原協定を結んだが、この協定の趣旨は、新東宝はその製作するすべての映画の配給を原告に委託し、これに対し原告は一定の製作費を新東宝に支払うというにあつて、両者はこれを昭和二十四年十一月初旬頃まで任意実行したという事実で、被告がこの協定をもつて違法であるとしたことは審決自体により明白である。これに対し原告は、被告が違法と断じたのはこの協定のうち新東宝の製作する映画の配給を挙げて原告に委託するという点においてであり、たんに原告の企画、指導、監督のもとにあらかじめ製作費を前払して原告が新東宝に製作を委託し、従つてその完成と同時に所有権が原告に帰すべき映画を原告が引渡を受けたことはなんら違法でなく、その故に被告が独占禁止法に違反するとして認定した事実は、当然かかる製作委託にかかる分を除き、その外に新東宝自体が自ら独自の企画にもとずき自己資金で製作した映画の配給もこれを原告に委託しなければならないとする点にこそ帰着するに拘らず、現実にはなんらこの事態は起らなかつたものであると主張するのである。しかしながら被告の違法とした点が原告と新東宝とが原協定を結びこれに従つて行動した点にあることは前示のとおりであり、この事実をもつて審決の基礎としたものと見るべきものであつて、決して原告の主張するようなものだけを違法とし、その点に関する事実だけを審決の基礎としたものと解すべきでないことは、審決全体からこれをうかがい得べきものであり、殊に被告が審決書法の適用の欄において、原告と新東宝との製作する映画の総数が日本映画の三分の一を占めるとの顕著な事実を挙げ、これにもとずき右協定実行の結果は映画配給の取引分野における競争を実質的に制限するとしていることは、右協定の全体をもつて違法としていることを前提とするのでなければとうてい理解し難いこととなるのである。被告が審決の法の適用の個所において、新東宝は委託にもとずかないで映画を製作し、これを自己の好む映画館に自由に配給することを制限せられているとして、これをも違法としていることは原告主張のとおりであるけれども、これは被審人としての原告の審判手続における主張に対する判断として、仮定的な説明を示したに止まることはそれ自体明らかであつて、この点を捉えて被告が原告主張の点のみを本審決の基礎たる事実としているものと解すべきものではない。東京地方裁判所における原告主張の各種の民事事件の勝敗は右説明を妨げるものではなく、この点に関する原告の主張は失当である。

二、審決は法の適用を誤まつているとの主張についての判断。

(1)  原告と新東宝との間に競争関係があることを前提とする法の適用は誤りであるとの主張について。

原告は被告は原告と新東宝との間には競争関係がないにも拘らずこれあるものとして法の適用をしているのはその根本において法の適用を誤つたものであると主張するけれども、原告と新東宝との間に競争関係があることについては実質的証拠があるものというべきことは前示(理由の一の(1) )とおりであるから、この両者間に競争関係がないことを前提とする原告の主張は失当であり、また不公正な競争方法においてはかかる不公正な競争方法をとる者とその相手方との間に競争関係の存することは常に必ずしも必要ではなく、被告もこれを必要として法を適用しているのでもないから、この点の所論も理由がない。

(2)  本件について独占禁止法第三条後段及び第四条を適用したのは不当であるとの主張について。

審決は、原告と新東宝との間に成立した原協定は、新東宝の製作する映画の配給は挙げてこれを原告に委託し原告は新東宝に対して一定の製作費を払うという趣旨であるから、原告と新東宝とは右の協定により共同して映画の販路及び顧客を制限するものであつて、独占禁止法第四条第一項第三号に違反することは明白であり、また原告及び新東宝の製作する映画の本数は、日本全国において製作される映画の総数の三分の一を占めることは顕著な事実であるから、原告らの行為は同時に共同してその事業を遂行することにより公共の利益に反して映画配給の取引分野における競争を実質的に制限するものであつて、同法第三条後段にも違反するものであるとしている。このうち映画配給の取引分野における競争を実質的に制限するとの事実が実質的な証拠にもとずくものといい得ないことは前示(理由一の(2) )のとおりであるが、さらにこれら審決の法の適用が正当であるかどうかについても検討する。

昭和二十八年九月一日公布即日施行の私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律の一部を改正する法律(昭和二十八年法律第二五九号、以下これを新法といい、右新法による改正前の同法を旧法という。)によつて従前の独占禁止法は大巾に改正され、共同行為について規定した旧法第四条は削除され、また不当な取引制限の定義を規定した旧法第二条第四項も新法においては第二条第六項として旧法の「他の事業者と共同して」とある下に「対価を決定し、維持し、若しくは引き上げ、又は数量、技術、製品、設備若しくは取引の相手方を制限する等」との文言が插入されたのであるが、これらの法改正についての経過措置に関する規定として、新法の附則第三項は「この法律の施行前に生じた事項については改正前の私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下「旧法」という。)及び旧事業者団体法の規定を適用する。」と規定し、同第四項は「この法律の施行の際、公正取引委員会の審決が確定していない事項については、旧法の規定による不公正な競争方法であつて、改正後の私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下「新法」という。)の規定による不公正な取引方法であるものに関する事項を除き前項の規定にかかわらず新法を適用する。但し既に行つた手続の効力を妨げない」と規定しているのである。これらの経過規定をあわせて考えると、これは新法が旧法に比して前記除外にかかる分を除いては相当部分にわたつて経済活動の制限を緩和しその自由を回復した結果、旧法下に生じた事項についても審決をするにあたつては、新法によるその制限緩和の利益をひろく及ぼすとともに、旧法に違反したもので新法の下では違反とならないものに対して新法施行後にわたつて旧法下の違反行為と同種行為の禁止を命ずることの不当を考慮して、新法を適用することとしたものに外ならない。従つてこの新法附則第四項は公正取引委員会が今後審決をするにあたつて法律を適用すべき場合について規定したものと解すべきものであり、公正取引委員会の審決に対する不服の訴訟において、このような場合その審決が確定していないことは明らかではあるが、裁判所が審決の適否を判断するにあたつて基準とすべき法律は新旧いずれであるかの問題まで、立法によつて解決をはかつたものとは理解し得ない。裁判所が審決の適否を審査するにあたつては、その制度の性質上、審決が審決当時の法令に従い正しくなされたかどうかを審査すべきものであつて、審決後の法令の改廃により審決の法令の適用が新法に照らせば誤つているとしてこの審決を取り消すことは許されないものというべきである。しかしながら審決がそのなされた当時においてもとずいていた法が後に改正され、審決が当事者に対し将来にわたつて禁止していたところが新法によつては禁止されるべきものではなくなつた場合には、法改正自体の効力として審決の内容のもつこの実質的拘束力は将来に向つて当然に失われるものと解すべきであり(当庁昭和二十五年(行ナ)第一〇号、昭和二八年八月二九日言渡社団法人日本出版協会対公正取引委員会間審決取消請求事件判決参照)、このことは前示新法附則第三項によつてもその結論を異にすべきものではない。

本件において、被告は原告と新東宝との行為は旧法の共同行為及び不当な取引制限に該当するとしたものである。このうち共同行為に該当するとした点が旧法自体に照して違法であるかどうかには関係なく、新法は旧法の共同行為の規定を削除し、旧法において共同行為を構成したものは、新法においては不当な取引制限となる場合はあつても共同行為としてはなりたたないこととなつたのであるから、審決がこの共同行為を認定した上、これに対する排除措置としてこれと同種の行為を将来もくりかえさせないように命じている部分は、前記説明のとおりその実質的拘束力を失うものというべきである。従つてまたこれについて取消を求める原告の請求中その部分は、訴の利益を欠くこととなるべき筋合である(その意味においてはこの点の判断は本判決理由中すべての事項に先行すべき筋のものである)。しかしながら審決は、原告らの行為はこの共同行為にあたるとともに、不当な取引制限にもあたるとして、両者の競合を認め、従つてその排除措置として命じたところも両者を区別するところがないのであるから、結局においてこの点に関する原告の本訴請求中訴の利益なしとして棄却さるべき部分は、質的にはともかく外形上はこれを特定し得ないものといわなければならないから、主文において特にこれを宣告することができない。

次に不当な取引制限にあたるとする審決の法の適用についてみる。この点に関する新法の規定は前示のように、旧法の規定中にあらたに前記部分が插入されたものであるが、これは不当な取引制限の定義に行為の例示を加え、法の概念規定としていつそうわかりやすくしたというに止まり、その実質においては旧法となんら異なるところがないから、旧法下に違法であつたところは依然新法下においても違法たることを免れない。これについては前示共同行為について見たような問題はないのである。

旧法第二条第四項は不当な取引制限について「この法律において不当な取引制限とは、事業者が、契約、協定その他何らの名義を以てするかを問わず、他の事業者と共同して相互にその事業活動を拘束し、又は遂行することにより、公共の利益に反して、一定の取引分野における競争を実質的に制限することをいう。」と規定している。この不当な取引制限の行為は、その程度段階において差異はあつても旧法の共同行為とその本質を同じくするものであつて、これは相互に競争関係にある独立の事業者が共同して相互に一定の制限を課し、その自由な事業活動を拘束するところに成立し、その各当事者に一定の事業活動の制限を共通に設定することを本質とするのであつて、当事者の一方だけにその制限を課するようなものは、場合によつて旧法の不公正な競争方法となり、また時としては私的独占を構成することのあるのはかくべつ、その制限の相互性を欠くの故にここにいう不当な取引制限とはならないものと解すべきである(当庁昭和二十六年(行ナ)第一〇号第一一号昭和二十八年三月九日言渡株式会社朝日新聞社外対公正取引委員会間審決取消請求事件判決参照)。

本件において原告は新東宝に資金を提供して新東宝の製作する映画の配給は挙げて原告に委託せしめ、もつて新東宝の映画の販路及び顧客を制限するものであつて、この制限は新東宝にのみ課せられた一方的な制限であつて、両者に共通した制限ではない。また被告は原告と新東宝とが原協定の趣旨に則つて共同して事業を遂行するというけれども、本来かかるものを共同と呼び得るかどうかは別としても、この共同遂行にはなんら相互拘束を伴つていないのであつて、このような共同遂行というのは法第二条第四項のそれには当らないというべきである。しからば被告が原告と新東宝との行為をもつて法第二条第四項第三条後段にあたるとしたのは誤りであり、審決のこの点における法の適用は不当である。

しかるに審決は右と同一の行為をさらに不公正な競争方法にあたるものとして、この点について、法第二条第六項第六号第十九条を適用しているのである。従つて審決の主文が命じた各種の措置は、同時に右第十九条違反行為の排除のためにも必要なりとしてしたものと解すべきであるから、右不公正な競争方法に関する審決が、実質的証拠を欠き又は法令に違反し若しくはその内容において失当である場合の外は、審決理由の一部を構成する不当な取引制限に関する法の適用が誤りであるとの一事によつて、直ちに審決全体を取り消し又は変更することはできないものというべきである。この点について、本件を不公正な競争方法にあたるものとして被告の認定した事実が実質的証拠がないとはいえないことは前示のとおりであり、その法の適用については原告において前記(事実第一の二の(二)(1) )のとおり主張する外それ以上にかくべつの主張がないところであるから、本件原告の行為が不公正な競争方法にあたるとする被告の法の適用についてはこれを違法失当とすることができない。

(3)  原告のした訴訟及び告訴は正当な権利保全行為であつて違法ではないとの主張について。

原告は、被告が審決の「事実及び証拠」の部第五の(一)ないし(五)において認定したような民事訴訟及び告訴は、新東宝の債務不履行を原因とするもので、原告の正当な権利保全手段であり、法律上正当の手段であつて、違法ではないと主張するけれども、これらの行為はいわゆる原協定の実行を確保するための行為と見るべきことは審決の認定するとおりであつて、原協定が不当な取引制限にあたらないこと前示のとおりである以上、これらの行為もまた不当な取引制限の実行行為と見ることはできないが、不公正な競争方法の実行を確保するための行為としてはなお違法たることを免れないものというべきであつて、原協定自体が適法とならない限りこの点に関する原告の主張は失当である。

(4)  審決主文において命じた排除措置は違法であるとの主張について。

(イ)  原告は審決の主文第一ないし第三項は現在の事実について判断せず、成否未定の将来の事実を予想してこれが排除措置を命じているものであつて不当であると主張する。審決主文第一項は原告及び新東宝に対し「将来その一方の製作する映画の全部又は大部分を他の一方にのみ排他的に配給するような協定又は申合をしてはならない」と命じ、将来の行為を禁止したものであることは明らかである。一般に独占禁止法違反の行為があるとき公正取引委員会はその違反行為を排除するために必要な措置を命ずるのであるが、ここに違反行為を排除するために必要な措置とは、現在同法に違反してなされている行為の差止、違反行為からもたらされた結果の除去等、直ちに現在において違反行為がないと同一の状態を作り出すことがその中心となるべきことは当然であるが、これのみに止まるものと解するのは、同法のになう使命に照らして狭きに失する。過去においてある違反行為があつても、それが一回的のもので継続する性質のものでなく、又は諸般の事情から将来くり返されるおそれがないことが予測されるものであれば、特に排除措置として将来にわたつてこれと同種行為の禁止を命ずる必要はないものということができるけれども、いつたん違反行為がなされた後なんらかの事情のため現在はこれが継続していないが、いつまた違反行為が復活するかわからないような場合には、現に排除の必要が解消したものとはいえないわけであつて、たまたま審決の時に違反行為がないからといつてこれを放置することなく、将来にわたつて右の違反行為と同一の行為を禁止することは、むしろ右違反行為の排除のために必要な措置というべきものである。本件においては審決の認定したように、原告は新東宝との間で不公正な競争方法にあたる原協定を結び、それに従つて来たところ、その後に新東宝のいわゆる自主配給宣言にはじまる抵抗による両者間の紛争を経て新協定が成立したため、原協定の継続がいちおう阻止されている事情にあることから考えて、これに本件口頭弁論の全趣旨により認め得る日本映画の配給上映に要する年間需要映画数、新東宝設立以来の原告との因縁、両者の勢力関係等をあわせれば、原協定と同一の行為が将来くり返されるおそれがないとは必ずしも保証し得ないものといわなければならない。従つて被告が違反行為と同種の行為を将来にわたつて禁止したことは、それ自体としては失当ではない。しかしながら右主文第一項は、本件の違反行為である不公正な競争方法、特に「相手方とその顧客との取引を不当に拘束する条件をつけて相手方に資金を供給すること」に対する排除措置としては、たんに右の拘束条件のみを禁止する趣旨と解するの外ないのであつて、かかる拘束条件をつけてする取引を禁止しているとは解し難い。相手方とその顧客との取引を不当に拘束するだけでは不公正な競争方法となり得ないことは明らかであつて、かかる条件によつて相手方に物資、資金その他の経済上の利益を供給することが違法となるのであつて、被告が審決において判断しているところも同趣旨である。従つて右主文第一項は本件の排除措置としては失当といわなければならない。

次に審決主文第二項は「被審人東宝と被審人新東宝とは将来如何なる名義を以てするを問わず、その間の競争を制限するような協定又は申合をしてはならない。」と規定する。この将来の禁止を命じたこと自体が不当といえないことは前記のとおりであるが、被告の認定した違反事実のうち維持されるべきものは、原告について不公正な競争方法のみであることは前記のとおりであり、この違反行為は原告と新東宝との競争制限の問題にはなんの関係もない事項であることは明らかである。従つてこの違反行為の排除のために右主文第二項のような事項を命ずることは、必要のないことといわなければならず、審決はこの点において法令の適用について不当たるに帰着する。主文第三項については次項については次項にあわせて検討する。

(ロ)  次に原告は主文第三項について、これは具体的な事実をなんら判示しないで原告に同項所定の行為の禁止を命じたもので失当であるという。右主文第三項は「被審人東宝は被審人新東宝に対し、合併を強要し又は映画の配給を妨害する等、その他如何なる方法を以てするかを問わず、被審人新東宝の経営に干渉するような行為をしてはならない。」と規定した。前述のとおり本件違反行為としては不公正な競争方法の一点に帰着するのであるから、この主文第三項ももつぱら右不公正な競争方法の排除措置として必要妥当であるかどうかの観点から検討されるべきことは前二項と同様である。なるほど被告は審決の「事実及び証拠」の部第五項において、原告が新東宝合併の企図を有しかつ新東宝の自主配給を妨害する等の行為をしたことを認定し、かつその証拠説明の個所においてもこれについて言及している。しかしながら被告がもつて違法としているところは原協定自体の実行行為であり、これをもつて不公正な競争方法としているのであつて、原告が新東宝の自主配給に反対したことはもつぱら右協定の実施を求めるにあつたものでそれ以上のものでなく、原告が合併の企図をもつて新東宝に圧迫を加えその経営に干渉したということも、違法な原協定の実行行為として違法であるというに止まり、その他にこれを特に独立した違反行為として認定したものでないことは、審決書「法の適用」の部分第二項及び第四項に徴して明らかである。これらの行為が果して不公正な競争方法の実行行為たるに過ぎないものといえるかどうかは疑わしく、かえつて本件口頭弁論の全趣旨から考えれば、これはこれとして別個の観点から検討すべきもので、本件のような不公正競争方法とは必然の関係はないものと解するのが相当であつて、これらの行為が独占禁止法上さらになんらか別個の違反行為を形成するものかどうかは別として、被告が右主文第三項のような事項を命ずることは、本件不公正な競争方法の排除のための措置としては必要を超えるものというべく、その法の適用において独断に過ぎるものといわざるを得ない。

(ハ)  さらに原告は被告が主文第四項において原告に報告義務を課したことを非難している。公正取引委員会が一定の違反行為の排除のために必要な措置を命じた場合、この命令の実効を確保するために右命令に応じて当事者のとつた措置について報告を命ずることは右排除措置に附随する処置として許されるべきものである。その排除措置が将来の行為の禁止すなわち不作為を命じたものである場合には、この命令が忠実に守られているかどうかを看視する意味で、本件のような報告を命ずることも右と同様に許されるべきものといわなければならない。従つてかかる報告義務を課すること自体はその命じた前提たる排除措置の維持される限りは不当ではないが、本件においては主文第一ないし第三項の排除措置が維持されない以上、その附随の処置としての本項もまたこれを維持することを得ないものというべきである。

(ニ)  最後に原告は主文第五項を攻撃する。審決主文第五項は「公正取引委員会は被審人東宝と被審人新東宝の間に昭和二十五年三月二十日締結された協定が合法であるか否かを審査する権限を留保する。」としているものであり、これは審決認定の事実によれば、原告と新東宝とがいわゆる原協定を結び、これにもとずき行動した後、両者の間に紛争を生じた末、昭和二十五年三月二十日にいたつて原協定の結果を清算する趣旨においてあらたな協定を結んだことに関するものであつて、これが審判手続において審判の範囲内に取り上げられたことは審決書自体からも明らかであり、この新協定自体は特に審決において違法と認定したものでないこともこれをうかがうに足りるところである(原協定が違法であるからといつて、これらを廃止した結果の清算のために結んだ新協定が当然違法であるとする原告の所論には賛成し難い)。従つてこれについて審決において特に排除措置を規定することは必要のないことではあるが、今後の推移如何によつては、この新協定に則つてなされる行為があたらしい違反を構成するかどうかは予測し得ないところであつて、そのあたらしい違反を構成すると認められる場合に、被告が将来あらためてこれを審判に付し得ることはもとよりその当然の権限である。ただこの場合、新協定についてはすでに審判を経たものとして取り上げ得ないのではないかとの疑いをさける意味で(審判手続については刑事裁判のような一事不再理の原則が適用されるかどうかについては明文はないけれども、条理上同様に解して然るべきものである)、念のため宣言したものに過ぎない。従つてこれは主文にはあるけれどもそれ自體原告に対する排除措置として掲げたものではなく、独占禁止法上このような宣言を特に禁止したものがなく、また主文において宣言することを妨げるものがない以上、これをもつて違法又は不当とするには当らないのである。

三、結論。

以上説明のとおりであつて、これを要するに被告が審決において独占禁止法違反として認定した原告の不公正な競争方法にあたる行為の排除措置としては、審決主文第一項ないし第三項は不当であつて、これらの附随処分としての第四項も維持し難いところであり、殊に被告が審決主文のような措置を命じたのが、そもそも本件においては違反行為として不公正な競争方法の外に共同行為及び不当な取引制限も成立するとしたところにあることは審決自体において明らかであるに拘らず、この後二者が本件から除かれる結果となつては、審決をこのまま維持し得ないものといわざるを得ない。よつて独占禁止法第八十二条第二項第八十三条に則り、本件審決は原告及び新東宝が共同行為及び不当な取引制限行為をしたとの点以外において事案に適合するようこれを変更するのが相当であると認め、そのために事件を被告公正取引委員会に差し戻すべきものである。原告はあたらしい証拠の申出をしているところ、すでに事件は被告に差し戻されるべきものである以上、原告はあらためて審判手続において自由に証拠の申出をする機会を得るものというべきであつて、ここで右申出についてその取調の要否を決定する必要はない。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判長高等裁判所長官 垂水克己 判事 藤江忠二郎 判事 浜田潔夫 判事 猪俣幸一 判事 浅沼武)

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